J-KING’s diary 裏J-KING

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プロレス人生 三沢光晴

いったい何があったんだろう?

三沢光晴 が検索ワードで急上昇!

また社長自ら、チャンピオン決めちゃった、みたいなー。

と思って特に気にもかけなかったが、なんとプロレスの試合中に
倒れて意識不明、そのまま死んでしまった!

あの、三沢が死んだ!

プロレスラーの三沢光晴さん(46)が13日夜に広島市中区であった試合中に後頭部を強打し死亡した!
検視の結果、頸椎がずれたことで中を走る神経の頸髄が離断した状態になっていた。
三沢さんは相手選手がかけたバックドロップで頭からマットに落ちて心肺停止となった。
広島中央署は、この技で頸椎がずれた可能性が高いとみている。


悲しい。

プロレスラーの死は、実はけっこう多かったりする。
有名な一流レスラーの事故なら、ニュースになるが
小規模な団体、女子プロレス、デビューしたばかりの選手。

大相撲での可愛がりリンチ死など、闇に葬られている事故もあるらしい。

それでも、彼らはプロレスラーだ。
総合格闘技やK1が人気だが、昭和プロレス好きの私は、
なんといってもプロレス最強伝説に賭けたい。

受身の美学、これこそがプロレス。
勝ち負けも重要だけど、選手のぶつかり・激闘・耐える姿は美学なのだ。

三沢光晴は、高校3年生でレスリングの国体優勝。
その才能を買われ、全日本プロレスでは、若干19歳でデビュー。

デビュー戦は、越中詩郎が対戦相手だった。
同期の二人はその後そろって、メキシコへ武者修行へ。

帰国した三沢は、2代目タイガーマスクとして、全日本プロレスの看板レスラーとなる。


ジャイアント馬場の死後、全日本プロレスの社長。

大量レスラー脱退による、全日本離脱。
プロレスリング・ノアの旗揚げ、自ら社長兼選手として
第一線で奮闘していた。

相手の容赦ない技を、いくら受けても立ち上がってくるという
ゾンビスタイルは、見るものを魅了した。

常にそのスタイルは、プロレスを一流のスポーツとすることを
目指していた、三沢のノアの譲れないポリシーでもあった。

しかし、そのスタイルは、選手の体を痛めつけ続けた。

観客のためには、手抜きはできない。
いつも全力のファイティングスタイルに、信念を貫き通した三沢。

三沢光晴、永遠なれ!


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